【連載小説】押鴨町のとあるカフェ #4
著者・野元
リラックスブレンド
カフェのなかは不思議な空間だった。
店内の扉を開ける花とスパイスが交ったような香りが鼻腔をくすぐる。
店内は建物の外見よりずっと広く感じた。床には芝生が生えており、机と椅子はすべて木製で木が自然とその形になったかのようだった。また、壁際には木が生えていて、壁と天井に沿うように枝を伸ばしていた。
広々とした店内にはカウンター席とテーブル席。椅子は合計で八席しかなかった。
「まあ、座って」
くま吉がカウンター席の椅子を引いてくれた。
「ありがとう」
「飲み物はお任せでいいかな?」
「うん、飲めるものなら、何でも」
「はは、じゃあ人間が飲めるものを作るよ」
まるで人間以外の飲み物があるような口ぶりだ。怖くて聞けないけど。
店内は風で木々が揺れる音や鳥のさえずりが聞こえる。目を閉じれば森のなかに座っているようだった。かすかに音楽も流れてる。何の音楽だろう。すごいゆったりした音楽だ。
しばらくすると、くま吉がお茶を運んできてくれた。彼の背丈は小学一年生くらいなので、カウンターの上にティーポットを置くのに背伸びをしている。
「これなあに?」透明なガラスのティーポットの中では花や葉っぱが舞い、ゆらゆらと立つ湯気からは華やかな香りが漂ってくる。
「ハーブティーだよ。砂時計が落ちきるまで待ってね」くま吉は目の前に古い砂時計を置いた。砂時計からするすると砂がこぼれ落ちていく。
「ハーブティーってあまり飲んだことないかも。……飲みなれてなくて、残しちゃったらごめんね」
正直、ハーブティーは苦手だった。過去に何回か飲んだことがあるが、味はほとんどないか、酸っぱいか、苦いような、甘いような変な味がするものばかりだった。なので、失礼かなと思いつつ、つい予防線を張るようなことを言ってしまう。
くま吉は大きなあくびをして、「まったく問題ないよ。飲みたい分だけ飲めばいいし、香りだけを楽しんでくれてもいい。しおりの肩の力が抜けたら、なんだっていいよ」
そう言われて、肩に力が入っていたことに気がついた。子供の時から緊張すると肩に力が入ってしまう。
「隣に座っていい?」
「もちろん」そう言うと、くま吉は椅子を引いて隣の席に座った。
「ありがとう。立ってると疲れるからね」くま吉は椅子にもたれるように目を瞑った。
目の前の砂時計を見ると、ちょうど砂が落ちきった。
ティーカップにゆっくりとハーブティーを注ぐ。白い湯気からは良い香りがする。
「いただきます」
一口飲むと、花の華やかな香りが喉と鼻に駆け抜けていった。
「美味しい……」香りだけじゃなく、ちゃんと味があり、お茶として美味しかった。優しく落ち着く味わいだ。
時間をかけてゆっくりと飲む。くま吉は隣で小さく寝息を立てていた。
ハーブティーの香りと、小鳥の声。誰にも急かされず、時間を気にせず、椅子にもたれて、ただお茶を楽しむ時間。
「こんな時間もいいかも」深呼吸するように深く息ができた。肩の力もいつの間にか抜けている。
それから三十分くらい経っただろうか。ハーブティーを飲み終えるタイミングでくま吉は「んん~!」と大きく伸びをして起きた。
「ごめんね、眠っちゃって」
「全然大丈夫。こちらもゆっくりさせてもらっちゃった」
くま吉がぬいぐるみだからか、ハーブティーを飲んだからか、初対面なのにわたしはくま吉の前で気楽に話せた。
「ねえ、このハーブティー美味しいね」
「お、嬉しい。僕の自信作だよ」
「くま吉が考えてブレンドしたの?」
「そうだよ。ハーブティーって面白くてね。ブレンドする人によって味が全然違うんだ。その人の価値観や個性が味に色濃く出る。これはリラックスしたい時のためのブレンドだよ。このブレンドを美味しいと感じてくれたのなら、僕のハーブティーと相性が良いのかもね」
くま吉は好きなものを語るように、楽し気に話した。
「相性……?」
「うん、コーヒーでも、紅茶でも、相性はあるけどね。ハーブティーは特にブレンダーとの相性が大切だよ。本当に美味しいハーブティーを飲みたいのなら、色々なお店のハーブティーを飲んで、自分に合うブレンダーを見つけないといけないくらい」
「じゃあ、わたしはくま吉と出会えて運が良かったな」
「僕もしおりと会えて運が良かったよ。あ、そうだ。お土産をあげるね」くま吉は椅子から降りた。
「え、気を遣わないで大丈夫だよ」わたしは本心から遠慮したが、くま吉は「まあまあ」と言いながらキッチンに入っていった。
そろそろお店を出ようかと思い、わたしも立ち上がってポケットから財布を取り出した。
くま吉はキッチンから出てきて、個包装のティーパックとクッキーを渡してくれた。
「良かったら、自宅でも飲んで。クッキーも美味しいよ」
「ありがとう。じゃあ、これも含めてお会計させて」
「今日はお金はいらない。くじを見せてくれたお礼だからね」
「いや、さすがにそれは……」わたしがそう言うと、くま吉は苦笑交じりに「実を言うと、これでも僕がもらいすぎなんだ。しおりの持つくじは僕らにとって特別だからね。だからお金は大丈夫だよ」
これ以上遠慮しても失礼になるかなと思い、迷ったが「じゃあ……、お言葉に甘えるね。ありがとう。ごちそうさまでした」 と頭を下げた。
「こちらこそ、ありがとう。またいつでも来てね」
くま吉は店の扉を開けてくれた。外に出るとすっかり夜だった。
「帰り道は、あの電柱の裏を通ってね。そうすれば、元の世界に戻れるよ」
くま吉はすぐそばの電柱を手差しした。
「あ、あそこを通れば戻れるの……?」電柱の裏側、つまりは電柱と塀の狭い間だ。なぜそこ通れば元の世界に戻れるのか。そもそもここはどこなのか。わたしは今の異様な状況を思い出して、くま吉に尋ねようとしたけど、「ほらほら」とくま吉に背中を押された。
「ちょ、ちょっと……」わたしはくま吉に押されて、電柱と塀の間を抜けた。瞬間、くらっと眩暈を覚える。
後ろを振り向くと、くま吉はいない。店はすぐそこにあるけれど、電気は消え、店頭に「空き物件」と大きくポスターが貼られていた。
前を向くと少し先に押鴨商店街の通りが見える。今日は縁日だからか人通りが多い。わたしは商店街に出て、人ごみのなかに紛れてやっと安心した。元の世界だ。
文/著者 プロフィール

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押上でハーブティー専門店ウッドチャック(カフェ)を営む。
詩、小説を書くのが趣味で、自分の本を出版するのが夢。
※「押鴨町のとあるカフェ」はウッドチャックをモデルにしておりますが、実在のお客さま、スタッフ、関係者は登場しません。
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