地域に息づく小さくとも創造的な暮らしを見てほしい
「39アートin向島」実行委員長・長 加誉さん
2010年から毎年3月に墨田区向島エリアで行われてきた「39アートin向島」。現代美術家の開発好明さんが「毎年3月9日をアートの記念日にしよう!」と提唱して始まったプロジェクト「サンキューアートの日」に、「向島」という地域単位で参加するアートプロジェクトです。「39アートin向島」の立ち上げから運営まで全てを束ねてきた実行委員長の長 加誉さんに、プロジェクトに込めた思いや今後の取り組みについてお話を伺いました。
自分たちの力でできるアートプロジェクトを
-- 向島で「39アート」をやろうとしたきっかけは何だったのでしょうか?
2009年から地元のNPO法人向島学会と、東京都、東京都文化発信プロジェクト室の三者共催で「墨東まち見世」というアートプロジェクトが始まり、その初年度に私はボランティアスタッフとして関わっていました。当時「墨東まち見世」は3ヵ年計画で、2年後にはなくなってしまうとわかっていたこともあり、「墨東まち見世」が終わってしまった後でも「自分たちでアートプロジェクトをやれるようになりたい」と思って仲間達を集めたことがきっかけでした。
「墨東まち見世」のような、アートを通してまちを見せる、比較的大きな取組みに関わるのも初めてだったので、最初はトライ&エラーの連続、運営や企画をする私達自身のレッスンのような要素もありました。
それと、その頃はまだスカイツリーの開業前、高層マンションが建ち並んで再開発がどんどん進んで、なんとなく、まち中がざわざわしている中で、「このまちはどうなっていくんだろう?」という不安も大きかったです。大きなもの、背の高いものに皆の目が向いていく中で、もともとこの辺にあるヒューマンスケールな建物や暮らしを見てもらいたいという想いもありました。そういうライフスタイルの魅力を発信して、来た人がそのライフスタイルの良さを持ち帰ってくれたらいいなとも思いました。そのコンセプトは今も変わっていません。
-- もともと向島のあたりには、アートの土壌みたいなものはあったんでしょうか?
あったと思います。工場を改修した「現代美術製作所」(2015年閉館)というギャラリーが1997年にオープンして、そこで若手作家の紹介などをしていました。今ではすっかり有名になられた現代美術家の方々が若い頃に展示していたり、この場所に集まったアーティスト達が地域に出てプロジェクトを行うことも2000年代に何度かあったようです。そういった経緯があって、アートを含む多様な活動が起こりやすかったり、地域で活動がしやすくなっているということはあります。「サンキューアートの日」も、現代美術製作所で開発さんが個展をしていた時に生まれたプロジェクトらしく、墨田区は「サンキューアートの日」発祥の地でもあるのですよね。
作品にも暮らしにも“アート”は宿る
-- 「39アートin向島」も今年で9回目です。規模が大きくなるにつれてまとめていくのも大変かと思いますが、参加企画のディレクションなどはしているんですか?
今まではしていないです。全体的なコンセプトを設けている訳でもなく、皆さんが持ち寄った企画の、さまざまなジャンルが混在しています。
例えば、ヤッチャバさんに野菜を買いに来た人が39アートのことを知って、すごくソリッドな展示を見に行ったり、急に荒川で「ヤッホー」と言っていたりする。そのまた逆も然り。そんなことが起きるといいなと思っていて。ディレクションをしないのは、そういうコントラストを体験してほしいという意図もあるのですが、正直、毎年、もっと全体的な方向付けをしてやったほうが良いのか、すごく迷いながらやっています。
-- 振れ幅の大きさを楽しむのも39アートの楽しみ方の一つなんですね。
はい。仕事では、アートやアーティストの力で社会をより良くする取組みに従事していて、日頃から、そういったアート・美術は美術館やギャラリーだけにあるのではなく、より人の生活に近い場にあった方がいいと考えています。美術やアートの完成された作品という部分・状態から離れても、39アートに参加している方々の日々の活動やライフスタイルってとても創造的で、そこにもアートは宿っていると思うんですね。そういうものも大事にしたいし、見せていきたいです。「39アートin向島」にはいわゆるアート作品もあるし、アートと呼べるかわからないけど地域の人たちのクリエイティブな生活もある。そんな両方がある状態を、39アートでは見せていきたいと思っています。
-- 来年でいよいよ10回目となりますが、どんな39アートにしたいとお考えですか?
ひとまず、開発さんをお呼びしてお話をしたいなと考えています。プロジェクトの内容については、本当にノープランです。毎年準備期間と会期中は精一杯で、「もう来年はやらない!」と思いながらやっているので、毎年次回についてはノープランなんです(笑)。会期中は「もうやらない」という気持ちですが、会期終了後に企画参加者の皆さんにとっているアンケートで、「来年も楽しみにしています」「来年はこんなことやりたい」という回答を頂いては心を動かされて、「じゃあ、また来年もやるか!」と。
-- 長くやってきた中で、まちの変化だけでなく、結婚や出産と、長さん自身の生活にも変化がありました。そういったプライベートの変化は、39アートの方向性にも何か影響がありましたか?
実は、自分が母親になって、子どもが参加できる企画が増えるといいなとは率直に思うのですが、なかなか39アートで目指しているものに入れ込むのは難しいと感じています。
というのも、39アートのターゲットに据えている人たちは、独身で一人暮らしだったころの過去の自分に近いイメージなんです。
私は生まれも育ちも向島のあたりですが、こういうアートプロジェクトに関わるまでは「自分のまち」という認識があまりありませんでした。帰属意識がなくて、職場と自分の家だけが世界みたいな、息苦しさがありました。それが、アートプロジェクトに関わることで一変したんです。友達も行けるお店も地元に一気に増えて、果ては働き方、生き方まで変わりました。
39アートは、駅から自分の家までの間どこにも寄り道しないような人たちに、「もうちょっと、まちで遊びなよ」って呼びかけているようなものなのです。
普通の人や子どもの表現も引き出していきたい
-- 今後、39アート以外に取り組んでいきたいことはありますか?
やはりお母さんと子どもが楽しめるようなプロジェクト、どちらかというとお母さんに向けた事業をやっていきたいです。
それと、別の区の保育園でアーティストのワークショップを行うという仕事をしていて、それを墨田区でも広げていきたいと思っています。墨田区は新日本フィルが拠点にするトリフォニーホールがあったり、すみだ北斎美術館や江戸東京博物館があったりと、文化芸術に触れられるチャンス、施設は少なくないと思うのですが、見せる側と鑑賞する側という関係性になりがちな文化体験に、そこをもう一歩踏み込んで、自ら体験したり、表現したりする機会を作っていきたいです。
-- ご自身の子育てでも、そういったことをやられているんでしょうか?
特に意識してはやれていないのですが、自宅にテレビがないせいか、息子は絵本を読むことや見立て遊びが得意になりました。
-- 自然と創造力が育まれていきそうですね。
そうできていたらいいなと思っています。社会の中で生きていると個人よりも集団が優先される場面というのはどうしてもあって、それも必要なことだと思うのですが、一方で薄れていってしまう個性もあるなと感じていて。集団生活を営みながらも、可能な限りそういう部分も失わないように育てていけたらと思います。
長 加誉(ちょう・かよ)
墨田区東向島出身。2009年、アートプロジェクト「墨東まち見世」にボランティアスタッフとして参加。その後、事務局、公式企画「どこにいるかわからない展」の企画運営などに携わる。2009年末に「39アートin向島実行委員会」を立ち上げ、2010年より毎年3月にプロジェクトを実施。2015年よりフリーランスのアートマネージャーとして、墨田区では平成28年度全国障害者アート公募展「みんな北斎」事務局、平成28・29年「隅田川 森羅万象 墨に夢」事務局アシスタントなどの活動に従事。