nande
著者・林 光太郎
一日目
ピンポーン
「ちょっとたくやくん行ってきてー」
「はぁーい」
たくやが小走りで窓際の席へ行く。
「お待たせいたしました。ご注文は…」
机の上に置かれた注文用紙に目を通す。
ナン
「あの大変申し訳ございませんが、当店ナンはなくて…」
お客はまっすぐたくやの目を見つめて
「ナンで!」
と言う。
「いや、申し訳ございません。ないんですよ。少し店長に確認してくるので、お待ちいただけますか?」
「ナンで!」
小走りで戻ってきたたくやは困り顔で
「ナンを注文されるお客様がいるんですが…」
「なんじゃそりゃ。まぁいい、試しにこれ持ってって。間違えてるのかもしれないし」
と言い、店長がフォカッチャを提供台へ載せる。
持っていくと、すぐさま一つを掴み、ニコニコしながら食べ始めた。
なんだこいつ…たくやは首を傾げながら、次の注文を取りに走る。
2日目
チャラーン
いらっしいませ〜こちらの席へd、ゲ、あいつだ…
ピンポーン
「ナンで!」
フォカッチャを持っていく。
すぐさま掴む。喜んで食べる。
n日目
「ナンで」
フォカッチャを持ってく。
食べる。喜ぶ。
n +31日目
「ナンで!」
「お客様。今日は19時半がラストオーダーなので、ごゆっくりいただけないんですよ」
年末31日。今日は20時で閉店だ。
「ナンで!」
「はい。それと、先月から張り紙していたんですが、当店今月で閉店となっています。新年にはお店は開きませんので、お気をつけを。つきましては、駅を出て曳舟川通りをスカイツリー方向へ向かっていただくと系列店ございますので、そちらへお越しいただければ幸いです」
「なんで?」
「バイトの身で詳しくはわからないんですが…経営が芳しくないとかで…」
「なんで?なんで?何で?naんで?なんで?なnで?ナンデ?nanで?なんde?なんで?なnde?nande?」
頭を掻きむしり発狂するお客にたくやは
「落ち着いてください!他のお客様もおられますので」
と言うことしかできない。
そこへ慌てて駆け寄った店長が
「おい、迷惑だから出ろ!」
と腕を引っ張って出入り口へ連れてく。
お客はさらにヒートアップ。
「うぁァァaあ」
と泣き叫ぶ。
店先に放り出された後も、しゃがみ込み泣いている。
年末ということもあり、店内の人は少なかったので、混乱はすぐに静まった。よく来てくれていた常連さんたちと言葉を交わせているうちにあのお客のこともいつしか忘れていた。

その後は何事もなくお店は無事閉店し、店長が自腹を切って買ってくれたワインをみんなで分け合って飲んだ。今日はそれぞれうち帰ってゆっくりしよう!ということでささやかな打ち上げは早めに終わった。ほろよい気分で店の前へ出ると、まだあのお客がいた。
「うぇぇe〜ん」
まだ泣いている。
まだいんのか…一旦はうんざりし、通り過ぎたが、次の瞬間には走り出していた。走りながら、自分でも納得がいっていない。たくやは歩いて12、3分の場所にあるネパール料理店へ向かって走っていたのだ。
足を止めるたびに、心臓がドクンドクン脈うってるのがわかる。息を吸い込みたいのだが、胸元につっかえがあるのか浅い息しか吸えない。
ナンをテイクアウトして客のところへ帰ってきたたくやは
「ナンだぞ」
と言って袋を差し出した。
泣いて下を向いていた客は、顔を上げた。街の電灯に反射した瞳がキラッと光った。
「ナンだっ!」
輪ゴムでくわえられたパックを開け、ナンを食う客。
あっという間に食べ終え、去っていこうとする。
「おい!なんか言えねぇのか!」
「あ……り….が…..と」
ふらふらっと路地に消えていく客の後をたくやはいつまでも見守っていた。
あれから街を歩けば、たくやはあのお客をよく見かける。
言葉を交わしはしないが、目が合えば会釈はする程度の仲だ。
言葉などいらない。難を超えて、僕らは繋がれたのだから。
文/著者 プロフィール
