海坊主のいる銭湯

「また海坊主の仕業か。これじゃぁ仕事にならねぇ」
「まったく。勘弁してくれねぇかな」
 海が荒れると、船乗りたちは口々にぼやきます。海坊主はその声を、海の中で聞いていました。

京島 電気湯
京島 電気湯

「あら、大きなお客さんねぇ」
 番台のおばさんは、海坊主の顔を見上げます。
「海の匂いを洗い流しにきました。私はこれから誰にも迷惑をかけず、町で暮らすことに決めたのです」
 海坊主はそう言うと、まっすぐに浴室へと向かいます。海坊主がザブンと湯船に飛び込む音が聞こえました。
 お風呂からあがった海坊主は、おばさんに興奮した様子でたずねます。
「あの絵は何ですか?誰が描いたのですか?」
「あぁ、富士山の絵ね。銭湯絵師さんが描いたのよ」
 おばさんがこたえます。
「素晴らしい。海から眺めた山々を思い出します」
 海坊主の目に、薄っすらと涙が浮かびます。
「そんなに気に入ってもらえると嬉しいねぇ。お客さん、ここで働くかい」
 海坊主の目が輝きます。

海坊主のいる銭湯

 毎週金曜日は、海坊主が番台に立つ日です。海坊主は湯船に、海の香りの入浴剤を
入れます。
 チヒロちゃんが、船のおもちゃや魚のおもちゃを持って、銭湯へやってきます。湯船におもちゃを浮かべて遊ぶ、チヒロちゃんの楽しそうな声を聞きながら、海坊主は海での暮らしを思い出すのでした。

デラシネ書館
藤岡真衣