くらげなすただよへるとき
うそ歴史博士の授業が始まった。
日本最古の歴史書・古事記に記載される「くらげなすただよへるとき」。原文は「久羅下那州多陀用弊流時」。くらげのように流動性がある、という意味で使われた比喩表現だが、私はこう思う。古事記の時代に、使いたかった単語選びができなかっただけで、実際は「鞍毛茄子タダよhell時」と表記したかったのではないだろうか、と。ではこの場合の正しい比喩表現の意味を考えていく。
鞍毛茄子タダよhell時
鞍とは、人が、牛や馬の上に座る時に使う道具である。「鞍毛」と言っているので、尻尾のイメージがより強い馬をここでは採用しよう。次に茄子だが、ここでは「鞍毛」と並列の関係にある言葉として野菜の茄子を記憶しておこう。でお次は「タダよ」。これは女性が商売をしている時に言った言葉である。より正確に言うと「(これらは)タダなのよ」。ではなぜタダなのか。それは次に述べられる「hell時」が関係してくる。「hell」とは地獄。地獄という言葉に時という言葉がくっついているから、今回の「hell時」という言葉には、ただ「地獄」という場所の意だけでなく、時間的な経過を含んでいることがわかる。何かが経過しているということで、「地獄」で行われる動作として思い浮かばれることに、「堕ちる」がある。「地獄に堕ちる」というだろう。「hell時」とは「地獄に堕ちる時」の比喩表現といえる。
ここまでの教えを踏まえた上で考えるに、「鞍毛茄子タダよhell時」とはこうなる。
そこに置かれた「鞍毛」と「茄子」は「タダ(なの)よ」。「hell時(=地獄に堕ちる時にはね)」
これを私はこのように現代語訳した。
『地獄に堕ちる時というのは、辛く、物の値段なんて気にすることないから、全ての商品を無料で差し上げるわよ』
と言う、女性の優しさを表した言葉が
「鞍毛茄子タダよhell時」
なのである。
うそ歴史博士はチョークを置き、前方を見渡した。
グー。生徒たちはみな眠ってしまっている。
「これでヨシ。今年の生徒たちは不真面目で優秀だなぁ」
博士は荷物を持って、教室を出ていった。
博士の教えたかったことはそう、
うその歴史を学ぶぐらいなら、寝て休んだ方がいい。
ということなのである。