「東亰」(とうけい)東京という都市の原風景
向島EXPOプロジェクト「東亰フォトエッセイ」
写真家・中里和人氏の写真集「東亰」から向島地域の魅力を紐解くエッセイをリレー形式でシリーズで配信。
「東亰」(とうけい)東京という都市の原風景 写真・エッセイ:中里和人
荒川と隅田川、旧中川と北十間川に挟まれた三角州(デルタ)に東京都墨田区向島エリアがある。この土地との出会いは、2000年に開催されたアートイベント「向島ネットワークス」だった。イベントの代表者で建築家のティトス・スプリーは当時東京大学大学院で、日本の近代産業を支え労働者の町として発展してきた、向島の木造過密エリアの都市景観を研究していた。向島には、小さな住宅や町工場、長屋などが軒を連ね、その隙間を迷路のような路地が無数に延びていた。
また、向島には木造モルタルのアパートや工場、トタンの外壁住宅など、経年変化で緩やかに朽ちていく、独特のファサードや町並み景観があった。永井荷風の小説「濹東綺譚」の舞台となった玉の井(東向島)や鳩の街はかつての花街で、今も路地裏には当時の面影を残すアール・デコ風の花街建築が残っている。八広には町工場が多く、駆動する機械の音が流れてきたり、大小さまざまな煙突が路地裏にはみ出すよう林立していた。ここには、東京の近代化を支えてきた、迷路のような路地と時間の痕跡をとどめた旧い町が、東京の原風景としてあった。
アートイベントでは空き長屋を展示会場に決め、築90年の長屋をリノベーションすることから始めた。地域住民の方々と交流しながら、向島で撮りおろした写真インスタレーション展「長屋迷路」を開催した。
会場の長屋は京島にあった三軒長屋の真ん中で、両隣共に軒先には鉢や箱に植えられた草花などの植栽があふれていた。写真展の準備に入る頃から長屋の方々との会話が始まった。展示が始まった当日に会場の軒先が殺風景だからといって、お隣さんが写真展会場となった長屋の軒先に鉢植えをいくつか置いてくれた。また、会期中に道に迷った来場者を何人もの住民の方々が道案内して写真展会場まで連れてきてくれた。突然の夕立があった日には、傘を持たない子どもを連れたお母さんが駆け込んできて、雨宿りをさせてくださいと言ってしばらく写真展を見ていってくれた。
写真展を行った長屋会場にいると、この町に息づく自由度と開放感、隣近所が助け合う相互扶助の強いコミュニティの絆を肌で感じることができた。路地裏での井戸端会議、家々の周りに置かれた不思議なオブジェクト、軒先にあふれる植栽、路上でののどかな猫の物腰など、ここの住人のおおらかな精神構造が向島の町の景観になって現れていた。
植物が溢れる軒先では子どもたちが遊び、ご近所の住民同士が井戸端会議をしている、この小さな路地は誰もが一息つける縁側のような場所になっていた。
ここは季節が良くなると長屋の玄関が開け放たれていたり、近所の人がいつでも出入り自由なコミュニティがあった。
その感覚を可能にしていたのは、向島には太平洋戦争の東京空襲で焼け残ったエリアが他地域より多くあり、戦前からの景観を留めていたことも起因していた。特に、第二次大戦中の空襲の被災や焼失を逃れ、戦前からの長屋が多く残る京島付近には、下町の賑わいを留めたキラキラ橘商店街を中心にして、家と道とが錯綜しながら隣近所で繋がっている街並みと密度の高いコミュニティが現存していた。
そのことで思い出したのは、東京の都市部にも1950年代~60年代頃に見られた故郷である三重の農村にあったものと同質のコミュニティの絆があったことだった。両者の風景を比べながら、のどかな時間の流れと開放的なすき間空間を持った、日本の村落共同体が連綿と育んできた景観と連動していくように感じられるのだった。
その懐かしさや、路地裏の植栽に見られる小さな自然との共生感などには、ヒューマンスケールから作られた暖かい手触り感のある景観があった。
かつて、東京をはじめ自然から乖離した都市文明は、滅びの兆候を示すと語るネイティブアメリカンの一行が向島に来て、路地で突然歓喜の舞を踊りだしたと聞いた。そこで彼らは、向島の路地にあふれる路地園芸の緑の豊かさと、狭い軒先の鉢植えなどの植栽から、都市を自然に回帰させる住民の知恵に感動し、ここには都市の未来があると歓喜したのだという。
そして、ここには路地と建造物との重なり方、複雑化な建て地に即して作られた予想外な建造物、それぞれの工場で異なる煙突デザイン、路地の奥にたたずむ闇溜まりなど、現代の東京からは絶滅してしまったような光景があふれていた。たくさんの不思議なオーラを発する景観が混在していたのだった。
この向島を何度も訪れるうちに、ここに現代からは消えてしまったもう一つ幻の東京があるのではないかと思うようになっていった。1868年江戸から明治に変わり東京いう名称が付けられた。しかし江戸っ子は東の京都という記号的な名称に反抗し、庶民レベルから京の文字に一本の横棒を入れて、東京ではなく東亰(トウケイ)と付け直した。その名称は明治期の途中まで民間レベルでは使用されることがあったが、やがて消えてしまった。しかし、向島のあちこちにある迷路のような路地裏には、見えている光景の背後でゆらめく、生命体としての幻の都市が棲息していた。私はその幻の東京=東亰を、古い都市景観を現代に繋げている向島の有機的な景観に見たのだった。
近代から現代までの景観地層が堆積している向島デルタで、目で触れるような手触り感の強い景観を東亰(トウケイ)と名付け、今も向島が持つ東京の原風景を探しだし、日本の都市の原風景として記録し続けている。
中里和人オフィシャルサイト
http://nakazato.info
【すみだ向島 EXPO 2020】
ぬくもりを伝えるまち“すみだ向島”は、1923年の関東大震災、1945年の東京大空襲という歴史の災禍をくぐり抜け、今も「お隣さん」づきあいが生きる東京です。
“長屋文化”を背景に独自の進化を遂げ続けてきた、このすみだ向島エリアにおいて「すみだ向島 EXPO 2020」を開催します。「隣人と幸せな日」というテーマのもと、芸術と街のあたたかな結合を目指します。
開催日:2020年8月8日(土)~9月6日(日)
開催場所:東京都墨田区曳舟エリア約20会場
主催:すみだ向島 EXPO 2020 実行委員会