暮らしを豊かにする家族写真【2】
日常の中の“関わり”を撮る
こんにちは、カメラマンの花田友歌です。
「暮らしを豊かにする家族写真」第2回は、家族を撮ることについて少し掘り下げてみたいと思います。
家族写真というと、盆暮れ正月や子どもの成長を祝う場、あるいは家族旅行などといった、家族が揃うイベントでの記念写真を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。もちろん、そういう写真は家族の歩みを記録するものとして貴重ですし、後から見返してあんなことがあったね、こんな場所に行ったねと、家族に話題を提供してくれる写真でもあるでしょう。撮っておいて損はない写真です。
ですが私がお勧めしたいのは、なんでもない日常の中にある、家族同士の関わりを撮るスナップ写真です。
例えば、家族の中で写真に写る機会が多いであろうこどもたち。日々こどもの写真を撮るのは、多くの場合お母さんやお父さんですから、必然的にご自身がこどもと一緒に写真に写る機会は少ないでしょう。でも考えてみてください、お母さんやお父さんは、こどもにとっては世界で一番身近で大好きな大人なのです。その人と話している、一緒に歩いている、遊んでいる、いつもと同じ日の光景。大好きな人との“関わり”のわかる写真こそ、後々こどもにとっては宝物になるのではないでしょうか。こどもがいない人も、家族を撮るなら、なんでもない日の家族同士のやりとりや、一緒に過ごした時間がわかるシーンを写真に収めてみると、家族の関係性がいつもとは少し違って見えるかもしれません。
写真の面白いところは、撮るという行為そのものにも、撮る人と撮られる人の関係性が現れることです。撮られている人の表情や仕草に親しみが感じられるか、それともちょっと硬いのか。そういったことから撮影者と被写体の近しさが推測できるかもしれません。そういうことが読み取れるのは、最初に触れたような記念写真ではなく、日常の中のスナップ写真であればこそでしょう。
写真の持つ客観性は、家族というともすれば近すぎて苦しくなりがちな関係に、程よい距離感を与えてくれます。カメラを通して家族を見つめ、何かが心に留まった瞬間にシャッターを切る。その行為によって、いつもならテンションが生まれてしまう関係性にちょっとゆとりが生まれるかもしれません。
こどもにはついつい怒ってばかりになってしまう・・・というお母さんも、カメラを通してこどもを見ることで、シンプルに可愛いと思えたり、いつもなら怒りたくなってしまういたずらが滑稽で笑える情景に見えたりすることもあるでしょう。穏やかな視線でこどもを見ている自分にふと気づいて、折れかけた気持ちを立て直すことができるかもしれません。
写真家の濱田英明さんが自身の2人の息子さんを撮った「ハルとミナ」という写真集があります。写真はどれも日常の風景の中での、兄弟のありのままの様子を切り取ったものです。ほのぼのとした、あるいはクスッと笑ってしまうようなそれらの写真のノスタルジックな美しさは、ぜひ実際の写真を見て感じ取っていただきたいと思いますが(ご本人のツイッターでも公開されています)、特筆すべきは、被写体である2人の少年に対する濱田さんの独特の視点と距離感が味わい深く、良い意味で実の親が撮ったとは思えないような、それでいて愛が溢れた写真になっていることです。ご本人もおっしゃっていますが、この写真たちには親が自分のこどもを見つめる視点と、写真家がこどもという普遍的な存在を見つめる視点の両方が含まれていて、それが写真をとても魅力的にしています。
もちろん濱田さんは写真を生業にする人として意識的にこの2つの視点を持ち、行き来しているのでしょうが、写真を撮るという行為の中にそもそもある種の客観性が含まれていて、それは写真を撮る人が誰でも享受できる、視点の転換方法です。そしてその視点の転換は、家族という被写体を撮るときに特に生きると私は考えています。
カメラという機材、写真という媒体を通して身近な家族同士の関わりを見てみることで、いつもとちょっと違った家族の姿が見えてくるかもしれません。そして、撮った写真はぜひご本人に見せてあげてはいかがでしょうか。そこから新しい“関わり”が生まれるかもしれませんよ。
写真と文:花田友歌(はなだフォトワークス すみだ 代表)
hanadaphoto-sumida.com