焼け野原と新大学iU〜新旧区民で何を醸す

iU 情報経営イノベーション専門職大学教授・久米繊維工業 相談役 久米信行

焼け野原と新大学iU〜新旧区民で何を醸す

「久米さんのところは今晩カレーかい?」こんな酔狂な書き出しで都市計画の論文を応募。大学時代に賞を頂いたことがあります。石原三丁目の路地裏にあった職住一致のわが家は開けっぴろげで、誰もが通う銭湯への通り道。お互い気軽にのぞき込んだり上がり込んだり。ご近所の生きざまが見える街角で、みんなに可愛がられながら私は育ちました。

論文を書く時初めて、祖父から衝撃的な事実を聴きました。心優しきコミュニティの歴史が実は新しく、半ば偶然できたというのです。祖父は栃木県の農家の次男で、尋常小学校卒業後すぐ本所のメリヤス工場で丁稚奉公。大震災と大空襲で二回も焼け野原に立ちました。被災後も墨田区に戻ってきた人は半分、あと半分は焼け野原に可能性を感じて集まった新区民だったのです。焼け野原ではいがみ合う暇もなく助け合いながら、銭湯で裸づきあい。テレビのある家に集まりプロレス観戦をしながら仲良しになったのです。

何の因果か、コロナ禍の最中、墨田区初の大学が開学し、私は起業家を育てる教員になりました。まだ登校できない全国の新入生にzoomで墨田区の魅力を伝えると、超観光部やグッズ部を創ろうと学生主導で盛り上がって驚きました。若き新区民たちが、みなさんとどんなコミュニティを創造するか楽しみでなりません。